H2 彼らとする理由(わけ)

  • 2018.06.12 Tuesday
  • 12:22

A-unEXの10周年の今年、

記念ライブは大阪と京都の2か所で開催の予定である。

私達を成長させてもらった場所だから。

それぞれの場所で、2組のゲストに力をお借りする。

 

大阪のライブにお呼びするH2さん。

後輩のバンドにいたギタリスト、ピアニストとして出会った二人。

「インスト」という形態のステージに

私が初めて惹きつけられたのが彼ら。

 

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私の耳と眼は、ほとんどヴォーカリストに集中するので

エントリー制ライブで出会う、楽器プレイヤーだけのステージは

正直、観客としてはあまり集中できないことが多かった。

 

しかし、H2のギターとピアノの演奏が

輝きを放つようになるに、時間はかからなかったと思う。

彼らがバックで弾く演奏を知っていたからかもしれないが

二人でセンターに出てきた時の演奏に

プレイヤーの持つ力と、これまでの楽器とともに過ごした人生の努力が

改めて伝わってきた。

 

それは、ずっとともにステージに立ってきてくれた相方ミッチーと

私が歌う時、演奏をしてくれた楽器プレイヤー達に

改めて、感謝の気持ちを認識させてくれる大きなきっかけになったと思う。

 

私がH2に対し「音楽的に」等というレベルにはないが、

ヴォーカリストとして客観的に、プレイヤーの価値を認識させてくれたのが彼ら。

私は少なくとも

「共にステージに立つプレイヤーと同等の努力をした歌唱力」を持って歌う

ヴォーカリストになりたいと思ったのだ。

何よりもそれが、10周年に彼らとともにやりたかった動機である。

 

・・・・・

 

8月5日は、彼らとともに、活動をされているドラマーさんが

パーカッションでご出演くださいます。

Takashimaさんのプレイも、とてもとても、素晴らしいものです。

お時間ご都合つけば、是非お越しください。

 

 

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10周年の記念ライブは、A-unEXが現在の形になるに

本当に大きな刺激や、きっかけをくださったゲストさんをお呼びしています。

もう一組のゲスト、「南風」さんについては、

また改めて記事にさせていただきます。

 

B-flatさんはキャパが30数名です。

ご来場くださる皆様にはお席を確保させていただきたく、ご面倒ですが

事前のご予約をお願いしております。

こちらのブログ、Facebookのご案内記事のコメント欄、

メッセンジャーなどで、ご連絡ください。

キャンセルは当日であってもその旨、お知らせくだされば、

まったくさしつかえございませんので

どうぞよろしくお願いいたします。

http://bflat.in/

 

10大阪.jpg

 

京都のライブは11月25日にModernTimesさんで。

http://mtimes.jp/

以前のフライヤーでどちらも13:00頃〜とか

昼〜夕方という表記でご案内いたしましたが

こちらは16:00〜20:00頃の間に開催の予定となりました。

ご予定いただいてる方々、すみませんが、再度のご確認をお願いいたします。

詳細はまた、後日ご案内させていただきます。

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音楽の根

  • 2018.06.11 Monday
  • 00:26

A-unEXの10周年宴会の2回目を、奈良のBillyで開催。

10年もやっていれば、音楽コミュはいろいろと重なっているけれど

今回は関大民研で。

 

私達の音楽の根は、ここにある。

卒業してから30年、音楽をすることはなかったけれど、

その後、10年の間に、咲いた花は、ここに根付いて出た芽から、育ってきたもの。

ここがなければ、A-unEXはないのだから。

 

学生時代のバンド「クレヨン」の2人もコーラスに入ってくれた。

 

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後輩たちのデラックスなバンド演奏で

極めて控えめに歌わせてもらう私。

 

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後輩のユニット「うさみみスタウト」

ともに10年、頑張ってきたね。

で、今日の集まりでただ一人、民研じゃなかったうっちぃ氏。

この身内ノリによく付き合ってくれて、ありがとう。

 

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還暦前後。

仕事、自分の健康、親の介護、地域活動

もろもろ、いろいろある中、集まってくれてありがとうみんな。

 

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10年目。

「音学」と「音楽」を

「ステージ」と「宴会」を行き来する。

次に目指すのは8月5日。10周年ライブ。

それまで、リハに専念。

もちろん、その全てを楽しむ10年目。

 

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愛を結ぶ

  • 2018.06.09 Saturday
  • 11:31

 

東京で起きた5歳の幼児虐待致死事件について

AERAdot.の金城珠代氏の記事はとても重要な視点で書かれていた。

 

https://dot.asahi.com/dot/2018060800027.html

 

親を憤りをもって責め立てるばかりで終結するのではなくて

なぜその人はそういう行為に及ぶのかという事を知る方が、

虐待を減らすことに繋がるのだと

多くの人に知ってもらいたいと私も思っている。

 

 

先日、仕事で大きな小児科に行ったことを書いたことがあったが

「こういう行為は虐待ですよ」と

親に理解してもらうための部屋と設備があった。

誰もが待ち時間の間に自由に出入りでき、

自分の行動を振り返り、気づいてもらうという

意図のようであった。

 

つまり、「虐待では?」と病院スタッフが

感じる状態の子供の来院も相当数あるということなのだ。

そういう疑いがある親には、その部屋を見学してもらうよう

それとなく誘導するとのことであった。

現実が身に染みた。


 

自分の行為を虐待と気づいていた人が

その行為をやめられるよう、

支援をしてくれるところが社会であると「思える」なら

もっと、早い段階で、助けを求めるという選択をする可能性が

高くなってくる。

 

ところが報道はあまりにもワイドショー化している上に

誰もが世間に向かって個人情報も感情も

いつでも、どこでも自由に発信できるネット社会においては

あらゆるところで顔を晒され、個人情報を暴露され

国中ですさまじい勢いで叩かれることが目に見えている。

 

 

だから「ひたすらに隠す」という選択肢しかなくなってしまう。

その肥大化した恐怖を抱えた精神状態がますます、本人を追いつめて

弱いものにストレスを向け

虐待を拡大するという悪循環なのだ。

 

ところが、こういう情報はテレビでは伝えない。

ネットでも丹念に読んでいかないと行きつかない。

 

「虐待している親」こそ一斉に救済されないと

その子供達が犠牲になるばかりと私は思っている。

大丈夫だから、責めないから、どうか、

真実を伝えて、という社会にならないと無理と。

 

亡くなった女の子の名前は

「結」ぶ「愛」

あまりに辛い、短い人生だったね。

愛を結ぶことの本質を一人一人がを考える社会になるように…

それを考えることだけが、私達にできる供養かもしれない。

 

「子供を社会で守る」本質を社会にいるみんなが

理解するための教育、啓蒙、

更に必要な設備の建設や人材の投入。

お金をかけて、国家レベルで最優先でやらないとね。

子供を守り、育て、自立できるようにすることが大人の仕事だから。

 

梅雨入り

  • 2018.06.06 Wednesday
  • 19:28

 

今日から

雨の日は、心の中の不要物を洗い流す日にしました。

なかなかよい思い付きだと、われながら気に入っています。

 

何年ぶりに、グリーンを買いました。

雨の音を聞きながら、選んだのがこれ。

子株が折り鶴のように見えるところから

オリヅルランと呼ばれています。

 

この子株が土に届いたら根付いて、新たな株になるのです。

切り取って新しい鉢に植えてやると立派に育ちます。

生きていれば、増えていくんです。どんどん。

 

 

ほんの少量の土と、安価な鉢。

植物は、与えられた環境に不平を言いません。

ひたすらに、自分の新しい命である新たな株や、種を

生み出す営みを続けます。

それが植物の在り方で、とてもシンプルです。

 

全ての人の自分の在り方は、

人間の在り方の一にすぎません。

時には、たった一人の一つの判断と行動が、

とてつもなく大きい扉となり

そこに絡む人たちの在り方を見せながら展開し、

膨大な数の人達が影響を受けていくものなのですね。

 

今年から私にとって梅雨は、心の中の不要物を洗い流す季節です。

それなりに生きてきたので、今後の人生は穏やかに在り、

生きて在る間に残せるものが、愛であるよう願います。

今、とてつもない、恐怖や、不安の中にいる人達に

届く愛であるよう願います。

個人脳のガバナンス

  • 2018.06.03 Sunday
  • 15:37

 

私が社会的な話題でブログに記事を書く時は

個人的には心がしんどい時なの。

 

思考は「テーマ」によって脳の違う部分を使うから。

個人的な出来事で、納得いかなかったり、頭に来たりしてる時は

「なるべくそのことを考えない」ために、そうする。

感情を昇華できないままに考えると

ろくなことを思いつかないからね。

 

社会に目を向けて直接関わりのない、複数の人達の様子を

俯瞰的に眺める。

そして、思いを書いてみる。

 

私はそうやって自分の問題をクリアしながら生きて来たけれど

正直しんどい習慣である。

ただ、このしんどさが伸ばした私の能力もあるのは事実。

自分で伸ばした能力からもたらされるものによってしか

幸せになれないのが人生の仕組みである。

 

享受しているものでしか楽しんでないとしたら

間違いなく、後で、「虚しさ」ってのが訪れることになってるの。

 

人間の脳は、巨大企業よりはるかに複雑で、

変化に富み、センシティブでもある。

何をどの程度まで続けて、どこで休むか、やめるかも大事。

自己のガバナンス(統治)を意識したいね。

 

さて…と

  • 2018.06.02 Saturday
  • 10:58

 

悲しい時、寂しい時、苦しい時は泣かない。

だけど、嬉しい時は泣いてしまうわ。

 

さて…と、人生、何度目かの片付けを始めよう。

今日は晴れてるしね。

辛い中、よく頑張って書いたね。

  • 2018.05.30 Wednesday
  • 14:49

 

アメフト部から出された声明文を何度も読んだ。

 

世間が待ちに待っていた文書であることを前提にすれば

「精彩を欠く」というのが、私の第一印象。

「具体性」がない。

 

この状況において、最も混乱し、傷ついているアメフト部の

学生たちに、この文書を出すまでの間に指導をする

適任者が、マジでこの大学にはいないのだなあというのが

正直な感想である。

 

世間が期待するような「暴露的内容」である必要はないが、

状況を鑑みれば、少なくともプロのライターを雇い

彼らの提出してきたものを、添削して表現技術を指導し、

彼らの社会的安全を守る上では弁護士に精査してもらう等の

プロセスがあれば、こんな表現のままは出ないよね思った。
 

同世代の学生が書いた文書を私は頻繁に目にするから

学生のレベルでは、よく練ってあると思う。

ただ、そういうプロセスを更に踏めば、

彼らが新たに学ものはたくさんあっただろうに。

 

だから、決して学生たちを批判しているのではないよ。

私なら、どうアドバイスするかなあと思いながら読んだ。

 

 

「何度も話し合ってきました」だけではなくて

チームメイトが会見で読み上げた文書のように

時系列で、いつどこで、どのようにして、どれくらいの時間をかけて

話し合いの場を設けたのか、具体的に示した方がよかった。

だから、「まだ明確な答えが見つけられたわけではない」とう報告に対して

そりゃそうなるでしょうと感じさせるから。

 

 

今後、捜査機関に全面的に協力するという点に関して。

100人を超える部員なのでしょ?

「どうやって?」

監督も、コーチも、頼ることができなくなった状況はわかるけど

大学なのだから、「それぞれの学年が担う役割」がありますよね?

チームの中では、すでに決まっていた役割もありますね?

その窓口となる担当くらいは、既に決まっているのかな?

 

等といろいろ思う中で、はたと気づいた。

これこそ、このチームには「学生に自治の力が育っていない」ってことの現れなんだろうと。

つまり「盲目的に従ってきたことの結果」なんだと。

 

私達は「現象だけ見て評価」してしまうのが常。

件の学生の反則プレイについては、その画像を見ただけの時点では

ネット上の批判とはすさまじかったものね。

著名人たちですらそうだった。

 

 

貴方達が所属する大学がこの件で

世間に出してきた複数の文書レベルからしたらよくできてたと思う。

それに…「文書を社会に出す」ことのプレッシャーを

私はよく知ってる者の一人だった。

誹謗中傷の中ので、彼らの感じるプレッシャーは想像を絶する。

 

だから、今、大人として一言伝えるなら、

 

「辛い中、よく頑張って書いたね」…だね。

 

私達、教育に従事する者は、いつだって、冷静に

「なぜ彼らはそうであるのか」というところに、

関心を持つことが責務だと、私なりに自分の役割を再確認もした。


 

彼らは皆、極めて優れた「指示遂行力」を持ってる。

努力家で集中力高く、思いやりもある。

そういう「資質」を持った種から、どんな芽を出させるか…だね。

 

貴方達が「社会の皆様」と表現した大人達にも、いろいろな人がいるね。

この度「関東学生連盟」がこの件に関して出した見解に

安心した大人たちは多いと思う。

 

 

いつか、自分達が出した声明文を見て、

一人一人が自信を持って書き直せるところが出てきますように。

それができるようになる、経験をもたらす社会になりますように。

リタイアもそう遠くない、社会人の一人として、私も頑張ります。

 

 

 

以下、ネットから抜粋した「声明文」全文。

 

本年5月6日に行われました関西学院大学アメリカンフットボール部と私たち日本大学アメリカンフットボール部の第51回定期戦での私たちのチームメートの反則行為について、ケガを負ったクオーターバックの選手とご家族の皆様にお見舞いを申し上げるとともに、関西学院大学アメリカンフットボール部関係者の皆様、関東学生アメリカンフットボール連盟、その他の関係者の皆様に多大なご迷惑とご心労をおかけしてしまったことを、私たち日本大学アメリカンフットボール部選手一同、心よりお詫び申し上げます。本当に申し訳ありませんでした。また、私たちの行為によりアメリカンフットボールという競技そのものへの信頼が損なわれかねない状況に至ってしまったことについて、アメリカンフットボールを愛する全ての皆様、そして社会の皆様に深くお詫び申し上げます。

今回の件が起こってから、私たちは、どうしてこのようなことになってしまったのか皆で悩みながら何度も話し合ってきましたが、まだ明確な答えが見つけられたわけではなく、これからも話し合いは続けていきたいと思います。また、これから捜査機関による捜査や大学が設置する第三者委員会の調査が行われるようですので、私たちも全面的に協力して、その結果も待ちたいと思います。なお、それらの捜査・調査に際しては、関係者の皆様にも、私たちが信じているチームメートのように、誠実にありのまま全てをお話しして、その責任をしっかり受け止めて頂きたいと思っています。

ただ、少なくとも、私たちは、私たちの大切な仲間であるチームメートがとても追い詰められた状態になっていたにもかかわらず、手助けすることができなかった私たちの責任はとても重いと考えています。これまで、私たちは、監督やコーチに頼りきりになり、その指示に盲目的に従ってきてしまいました。それがチームの勝利のために必要なことと深く考えることも無く信じきっていました。また、監督・コーチとの間や選手間のコミュニケーションも十分ではありませんでした。そのような私たちのふがいない姿勢が、今回の事態を招いてしまった一因であろうと深く反省しています。

私たちは、日本大学アメリカンフットボール部全体が生まれ変わる必要があることを自覚しています。今後、具体的に何をしていかなければならないかについては、これから選手一同とことん話し合って決めていきたいと思います。ただし、絶対に必要だと今思っていることは、対戦相手やアメリカンフットボールに関わる全ての人々に対する尊敬の念を忘れないこと、真の意味でのスポーツマンシップを理解して実践すること、グラウンドではもちろんのこと、日常生活の中でも恥ずかしくない責任ある行動を心がけるなど常にフェアプレイ精神を持ち続けることを全員が徹底することです。そのために何をしていく必要があるのか、皆様にご指導頂きながら、選手一人ひとりが自分自身に向き合って考え抜くとともに、チーム全体でよく話し合っていきたいと思います。

そして、いつか、私たち日本大学アメリカンフットボール部が、部の指導体制も含め生まれ変わったと皆様に認めていただいた時には、私たちが心から愛するアメリカンフットボールを他のチームの仲間たちとともにプレーできる機会を、お許しいただければ有難いと思っています。また、そのときには、もし可能であれば、私たちのチームメートにも再びチームに戻ってきてもらい、一緒にプレーできればと願っています。

私たち選手一同の今の思いは以上のとおりです。私たちは、今回の件の深い反省のもと、真剣に、謙虚に、一丸となってチーム改革を実行していく所存ですので、どうかご指導のほど、よろしくお願い致します。

平成30年5月29日

日本大学アメリカンフットボール部選手一同

 

 

 

 

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    嘆願書

    • 2018.05.28 Monday
    • 13:01

     

    Facebook上にアップされていた

    関学のQB選手のお父様の嘆願書にサインをさせていただいた。

    数秒に一人のスピードで署名が進行中であった。

     

    こんなことを私がすることはまずないけれど

    今回だけは、そうさせてもらいたかった。

    大人として。そして教育に携わる者の一人として。

     

    ネットやメディアを介してではあるが

    お父様のご努力で、真実が伝わってきていることを

    確信できるので。

     

    件の選手に「刑事罰」が下るとしたら

    日本の若者はこの国も、教育も信じないと思う。

     

    しかし、「実行者」である彼の名前もなければ

    被害届は受理できないというのも道理。

     

    被害を受けたQB選手の、試合出場復帰と

    現時点での意向の上に重ねる私見だが

    反則は競技のルールに照らされてペナルティを科される。

    監督指示に従ったのだから、そのチームの選手としての彼は

    試合が終わればそこで終結にしてよいと思う。

     

    しかし、そこに至る経緯の中で、彼は人間の心で苦しみ

    今もなお苦しんでいるということも、理解している。

    彼に刑事罰は科さないでと切に願う。

     

    矛盾の中で出された苦肉の策。

    嘆きながら願うという文字が

    これほどぴったりの状況もないかもしれない。

    彼は「社会的制裁を十分に受けた」というのがお父様の見解だったが、

    願いの結果はこの国の「法律のあり方」のサンプルの一つにもなるんだろう。

     

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      「誠意」を伝えるには

      • 2018.05.27 Sunday
      • 18:12

       

       

       

      「真実」をピックアップして、「詫びる」だけ。

      今、持つものを全て「失う」という覚悟。

      「真摯」とはそういう態度なのだと

      この度、国中が20歳の学生から改めて学んだ。

       

      「本意」を詫びる事だけとすれば、

      自らの責任の取り方を明確に示せる。

      絶大な説得力を持つ価値ある会見の見本であった。

       

       

      私が何よりも驚いたのは

       

      彼をサポートした弁護士達はすぐに彼の本質を見抜き、

      状況を見渡し、わずか数日で

      失意のどん底で脅える彼を勇気づけ、指導し、

      今持つ、最大の能力を発揮させて

      「誠意」の本質を強烈なインパクトとともに提示できるまでに育てたこと。

       

      どのように読み上げ、振舞うか、どこを見るか、

      何を言ってはならないかも、彼は全て理解して臨んでいた。

       

      想定質問に答える準備も完ぺきだった。

      全く嘘がなく、自分で言葉を選べたから、

      こんなにも迅速に、臨機応変に内容が構築できたのだよ。

      裏方として素晴らしい仕事をされた弁護士の先生達。

      すごすぎる。

      だから、彼は300人を超えるマスコミのフラッシュがたかれる

      あの場でノーミス。

      過呼吸症候群になっても致し方ないような緊張の中で、

      ほんまにすご過ぎた。

       

      若さの持つ能力に、素晴らしい指導が施された彼の

      振舞い方も話し方も、

      私には涙があふれるほど感動であった。

      だから、もうね、あれから何度も見てる。

      個人的にには尊敬を持って

      そして職業人としては興味を持って。

       

       

      私は職業柄、いつも練習の場にいるから

      本気の人しか、本気で練習しないことを、よく知ってる。

      彼がどんなにどんなに本気で誠意を伝えたかったか、わかりすぎた。

       

      準備も練習もしてしなかった人達との差は一目瞭然だったよね。

       

      「何を言うか決めてない」し「きちんとお辞儀」もできない人達は

      もうそれだけで初めから「誠意がない」雰囲気が満載。

      謝罪してるのに後ろで組んでるとか、一人称が「私」ではないとか

      突っ込みどころがありすぎた。

      練習したことのないふるまいは、いくつになってもできないんやで。

       

      コミュニケーションに乖離があったと主張しているのに

      どこまでも、コミュニケーションをなめすぎ。

      重要な場面に向かって準備をし、練習を積むのはスポーツだけではないよ。

       

      準備して自らのマインドを確認し、練習してスキルを身につけてから臨む。

      それが誠意を伝える事。

      私はそのように、信じ、出会った人達に伝えている。

      そのマインドを支え、練習の指導するのが、

      教育、すなわち社会の裏方の仕事だよ。

       

      危機管理学部には、あらゆる場面において、真実を伝えることを恐れない

      プレゼンスキルを実技指導で導入していただくことと、

      その指導メソッドの構築を提案したい。

      そういう能力を持っている分野の人達を非常勤講師で雇用し

      教授先生とのコラボもよいと思う。

      あらゆる分野ででニーズがあるでしょうね。

       

      「プレゼン…演技力ですか?」と言われることも有るけど全然違うよ。

      真実を伝える時に演技する必要ないもの。

      誠意を伝えたい、謝罪する気持を伝えたい。

      その真実をそのまま伝えるための表現スキル。

      準備と練習を全くせずに望んだ会見の様子を見たら

      ご理解いただけるかと。

       

      全ての人の在り方は、その人が受けた教育の表れ。

      良くも、悪くも、様々な人を介して、

      その効果、結果は、あらゆる世代や

      職業の人が見せてくれるところが社会だなと思う。

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        教育に従事する者として

        • 2018.05.23 Wednesday
        • 01:20

        36年、社会に出る前の人達の教育に従事してきた者として

        今日は書かせていただく。

         

        幼稚園から大学まで、そこに所属する若い世代への指導と教育は

        この国で、精神的、経済的自立ができる力を養い

        社会に送り出すために施されるものだ。

         

        彼らがその途中で、

        指導の意図と乖離した解釈をした結果、及んだ言動の責任は

        指導した者にある。

        残念ながら、彼を指導した側の人達にはその認識がなかったようだ。

         

        たった一人、公に姿を現して、記者会見に臨み、

        真摯な態度で謝罪した20歳は立派であった。

        彼に弁護士を付け、あの場に息子を送り出した親御さんのお気持ちと

        覚悟は察するに余りある。

        彼の態度と発言を見れば、少なくとも親として

        立派な教育をされてきた方々だと推察する。

         

        親御さんが懸命に働いて納めてくださったお金を糧としていただき、

        大事に育てて来たお子さんをお預かりして
        この仕事をさせていただいているのだ

        という気持ちが指導する立場の者にあるならば、

        彼らにどう接し、どう扱うか

        については「心の構え」に親と同質の愛があって然るべき。

         

        どんな間柄であっても、

        コミュニケーションには頻繁に齟齬が起こるものであるが

        齟齬の結果、こういう現象が起こったのは、

        指導に愛がないからだと私は思う。

         

        「自分にはもう、アメフトをする権利はないです」と彼は言った。

        泣いてしまった。

        「もうアメフトをするつもりもありません」と続けた。

        こんな残念な教育があるだろうか。

        いや、こういう結果が出たものの経緯にあったものを教育とは呼べない。

         

        彼は監督指示を自分自身のスポーツマンシップに照らせなかったのか

        という旨の質問に対し、

        「あの行為は自分の弱さであった」と述べた。

        あんな場所で自分の弱さを認められるのだから、

        君はとても強いよと私は伝えたい。

         

        選手たちを愛しているから勝たせてやりたいのと、

        自分が勝てるチームの指導者になりたいのとは全然違うやろ。

        「勝つことにしか価値がない」のだとしたら

        スポーツは教育機関では指導しない方がよいのではないか。

        そこに「教育の本質」はないからね。

         

        教育とは

        自分の得意分野で生徒の成長を促すことに夢中になること

        ただ、それだけだと私は思う。

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